DEVOA 25-26AW
デザイナー西田大介が語る「AESTHETICISM」の哲学
25-26AWシーズン、DEVOAは「AESTHETICISM(耽美主義)」をテーマに、ブランドの美学を新たな次元へと昇華させた。デザイナー西田大介氏は、常に自身の内面と向き合い、ものづくりのプロセスそのものに哲学を見出す。パリの街角で得たインスピレーションの源泉から、服と人が交わることで初めて「完成」に至るという独自の価値観まで。DEVOAの創造の核心に、デザイナー自身の言葉で迫る。
人体の構造や医療について学んだ後、独学でパターンメイキングを習得。2007年にDEVOA(デヴォア)を設立。自身の経験と解剖学の知識を基に、独自のパターンメイキングを探求。身体にストレスを与えない着心地と、造形的な美しさを両立させたアルチザナルな衣服を制作している。
素材開発から徹底してこだわり抜いたハイクオリティな物作りは、国内外のコアなファッションファンから熱狂的な支持を集めている。
テーマの源泉と「なじませる」美学
今季のテーマである「AESTHETICISM(耽美主義)」について、その着想源からお聞かせください。
DEVOAでは基本的に生地作りを先行しており、今季の生地の雰囲気と向き合う中で「AESTHETICISM」というイメージは自然と出来上がっていました。パリで見たベンチの言葉が、その考えを後押ししてくれたのは確かです。テーマを後から見つけたというよりは、常に心の中にあるものを、あえて言語化したという感覚です。
その「常に心の中にあるもの」とは、具体的にどのようなものでしょうか。
DEVOAも18年になりますが、5年ほど前までは、パターンの主張など、より多くを表面化させていました。以前は、主張の強い、分かりやすいデザインが多かったと思います。しかし、私自身も年を重ねる中で、哲学的なことや特徴的なことを、洋服の内に含ませるようになりました。「隠す」というよりは「なじませる」、この表現の方が正しいかもしれません。
なぜ、より複雑で難しい方向を選んだのでしょうか。
例えば、海外のバイヤーからは、分かりやすい特徴を求められます。しかし私としては、「あれもやりました、これもやりました」と、一つ一つ説明することに美意識を感じません。説明せずとも伝わることが理想です。人から見て「非凡」だと映るレベルの仕事を、自分たちの「普通」の基準にしていく。その基準をいかに高く保ち続けるか、ということだと考えています。
「人から見て「非凡」だと映るレベルの仕事を、自分たちの「普通」の基準にしていく。」
主張しない部分にこそ価値が宿る、と。
その通りです。しかし、一度袖を通し、他の服と着比べていただければ、「全く違う」という感覚は、必ず伝わると信じています。
その価値は、作り手だけでは完結しない、ということですね。
はい。洋服は、それ単体では未完成の状態であり、残りは、お客様の振る舞いや姿勢、表情と一体となり、初めて完成すると考えています。
最後の要素は、着る人に委ねられている。
はい。良い服に袖を通した時、無意識に鏡の前で姿勢が変わることがあります。あれは本能的に、自身がより良く見える感覚を探しているのだと思います。お客様の感情が、鏡の前で自然とそうなっていただけるような服。DEVOAは、そのためのお手伝いをする存在でありたいのです。
素材に宿る物語
DEVOAのものづくりについて、常に新しい挑戦を続けているという点が印象的です。ご自身では、その「挑戦」をどのように捉えていますか。
挑戦的なことは毎回当たり前に行っているので、どれが特別だったかと聞かれると難しいです。私にとっては「普通」のことなのです。精神的に厳しいということもありません。どの職業にもあるような、理想通りにいかないことがある、という程度です。
その「普通」の基準が、一般的なレベルとは違うように感じます。例えば、今季のカモフラージュ柄は、一つのパネルが完成するまでに8つもの工程があると伺いました。
はい。あの生地は、重たい反物を6mずつに裁断し、手作業で加工していくため、完成までに半年以上を要します。加工場にとっては、非常に難易度の高い作業だったと思います。しかし、DEVOAの価格帯を考えれば、お客様から特別なものを求められるのは当然です。そのため、手間がかかるかどうかは問題ではありません。
その困難な道を選ぶ原動力は何でしょうか。
自分が思うように行かない時に、それを楽しむ余裕はありません。「なぜ、うまくいかないのか」と、単純に思うだけです。私のこだわりが強いのかもしれません。しかし、どうすれば自分が思うようなことを実現できるか、工場の方々と対話を重ねます。ネパールのカシミヤの時もそうでした。
ネパール産のカシミヤは、そもそもなぜネパールだったのでしょうか。
現地の原料は、良い意味で純度が“研ぎ澄まされていない”のです。いわば「ワイルドカシミア」とでも言うような、その感覚が私にとっては魅力的に映りました。
その「ワイルドさ」は、取引ではご苦労も多かったのでは。
はい。「二度と取り組みたくない」と思うほど大変でした。現地の商習慣は独特で、納期も全く読めません。大きな覚悟を持って臨んだプロジェクトでしたが、リスクが非常に高かった。それでも、最初のサンプルの糸の品質に納得できず、粘り強く交渉を重ねました。その結果、目指していた品質を実現することができたのです。
その探求心が、DEVOAの特別な生地を生み出す原動力になっている、ということですね。
そうかもしれません。しかし面白いのは、自分の思い通りにならないことが、より良い結果を生むこともある、ということです。
と言いますと。
例えば、イタリアのファリエロ・サルティとの仕事がそうです。彼らは日本の職人とは違い、良い意味でこちらの想像を超えてきます。こちらが設計図を提示して「こういう組織で編んでほしい」と依頼すると、想像以上に素晴らしいものが上がってきたりするのです。
予定不調和の魅力ですね。
はい。「意図したものと違うが、こちらの方が遥かに格好良い」といった、奇跡的な産物が生まれることがある。だから、ものづくりは一筋縄ではいきませんが、面白いのです。特に、亡くなられた2代目のロベルトさんとは、本当に良い関係を築かせてもらいました。滞在中は彼の家に毎日のように通いました。
個人的にも深い関係があったのですね。
はい。ですから、彼が亡くなったと聞いた時は本当に悲しかったです。もう色々と相談しながら進めることは難しくなりましたが、彼が残してくれたチームは素晴らしい。これからも、彼らとの間で生まれる奇跡を信じて、ものづくりを続けていきたいと思っています。
身体と服の「空間」をデザインする
パターンとデザインは、どのように作用し合っているのでしょうか。特に、DEVOAのパターンはよりシンプルに研ぎ澄まされていく印象を受けます。
はい。まさにその点に取り組んでいます。例えば、海外のバイヤーからは今でも「以前のような、より立体的な表現をしてほしい」と求められます。しかし、私が今、追求している部分は全く別のところにあります。過去にそうした表現ができたからこそ、今はそれをさらに「研ぎ澄ませる」という、より難しいことに挑戦しているのです。
その「研ぎ澄まされた」パターンは、一見しただけでは複雑さが分かりにくい、ということでしょうか。
その通りです。ですから、一見しただけでは立体感は分かりにくいかもしれない。しかし、その真価は、先入観なく袖を通していただくことで初めて分かります。他の服と着比べていただければ、その圧倒的な着心地の違いは、必ず伝わると信じています。
その挑戦が、DEVOA独自のシルエット、特に服と身体の間の「空間」の作り方に繋がっているのですね。
はい。私にとって、あの「空間」が持つ最も大きな意味は、着用者が美しく見えるように、体幹のバランスに変化を与えることです。試着した方が、無意識にすっと姿勢が良くなることがあるのですが、それがこの「空間」の狙いです。
最近では、その「空間」の作り方自体も変化しているように感じます。
よく見ていますね。まさに今、空間を大きく作る部分と、逆に身体にフィットさせる部分を、一着の中に混在させるという新しいフィット感に挑戦しています。
その挑戦に、終わりはないのですね。
ありません。毎シーズンが、私にとっては研究の「途中経過発表」のようなものですから。完成形はない。むしろ、自分が作ったものをもう一度壊して、「もっとこうしたら面白いのではないか」と考える。その繰り返しです。
機能性と美意識、そして「手工芸品」としての服
これまでの探求について伺いましたが、今季のテーマ「AESTHETICISM」は、西田さんにとって「新しい美の定義を見つける」ものでしたか、それとも「美しいとは何かを探求し続ける」ものでしたか。
それは後者です。私にとって、ものづくりは常に自分の視点での美学を追求することなのです。継続と進化は、私の中では同義語ですから。
その「継続と進化」という考え方自体が、今季のテーマの核心なのでしょうか。
その通りです。洋服は、沢山の人の手によって作られる手工芸品です。ですから、作り手の感情が良くも悪くも商品に宿ってしまう。そのことを常に意識しながら、いかにして「普通ではないこと」を自分たちの「普通」にしていくか。その考えやプロセス自体が、私にとってのAESTHETICISMなのです。
その哲学の中で、「美しさ」と「機能性」はどのように結びついていますか。
結びつかないことは、絶対にありません。私は常にミリタリーウェアや、特殊な仕事のユニフォームが持つ機能美から学んでいます。意味のある装飾やディテールには、必ず機能性が宿っているのです。
その哲学は、DEVOAの服において、具体的にどのように表現していますか。
例えば、ポケットの位置や角度、袋の深さ。何気なく手を入れた時に抵抗なく入るとか、深い椅子に座っても中の物が落ちないとか。私にとって、そういった機能的な正しさと美しさは、完全に同じものなのです。
服作りと、ご自身の個人的なアート制作とは、感覚が違うものでしょうか。
全く違います。アートは自分の手の中でコントロールが効きます。しかし洋服は、生地を作る人、縫う人、パターンを引く人、色々な人が関わるので、コントロールが効かない部分が多い。それが難しさでもあり、面白さでもあります。
様々な探求を経た今、変わらず持ち続けている「確信」とは何でしょうか。
結局、「私が欲しいもの、格好良いと心から思えるもの」しか作れない、ということかもしれません。そして、その基準は自分の中で常に更新され続けていく。ものづくりとは、そういうものだと考えています。
探求の先に在るもの、そして顧客への感謝
これまでのお話を通じて、「AESTHETICISM」というテーマは、ブランドのためというより、西田さんご自身の個人的な探求の結果だったのではないかと感じました。
今回だけでなく、毎回がそうですね。私自身の個人的な探求です。ただ、私の考えが伝わるかどうかよりも、私の服がお客様自身のより良い行動や考え方の変化に、少しでも影響を与えることができたなら、と願っています。そして何より、着用者自身が素敵に見えること。それが一番です。
今季のコレクション制作を通して、ご自身にどのような変化や気づきをもたらしましたか。
アート制作を通して、世界の様々な文化や感性に触れる中で、自分の表現は常に変化していると感じます。年を重ねることで、美意識も変わりますし、「シンプルなこと」の難しさもより深く体感しています。これからも、毎回のコレクションを楽しみながら挑戦を続けていきたいと思います。
最後に、この記事を読んでくださっているお客様へ、伝えたいことはありますか。
お客様へは、ただただ感謝をお伝えしたいです。皆様の存在が、常に私の心の原動力となっています。人は心の生き物で、本当に不思議ですよね。ちょっとしたことで元気になったり、悩んだり。…変わらない革新的なことなど、この世にはないのかもしれません。しかし、自分を信じて、日々を生きていく。そう思っています。いつも、本当にありがとうございます。
この記事を書いた人
Interviewer & Text: FASCINATE編集部