KLASICA デザイナーインタビュー Vol.1

「スタートは“2坪半の空き物件”」
ブランド創設時の秘話から
デザイナー自身の
“ファッション原体験”に迫る

2022年05月09日

作り手の思想にフォーカスを当て、クリエーションの裏側に迫るデザイナーインタビュー。

今回はANNASTESIA 名古屋店で取り扱いのあるKLASICA(クラシカ)のデザイナー河村耕平(かわむら・こうへい)氏にお時間をいただき、全3回に渡るインタビューを行いました。

第1回は、河村氏がブランドを立ち上げるまでの経緯や、ファッションに興味を持ったきっかけ、初めて自分のお金で買った洋服のエピソードなどについてお話を伺いました。

KLASICA

「ファッションというよりも、スタイルを作り上げたい」というヴィジョンのもと、2006年から東京を拠点にクリエーションを続けるブランド。

世界中のヴィンテージウェアや、各時代を代表するようなモードファッション、アートなど様々なジャンルや思想、時代背景などの要素をミックスした服作りが特徴。確かな個性を持ちながらもあくまで「着る人が主役になるスタイル」を提案している。


FASCINATEを拠点に販売員として店頭に立つ傍ら、メディア編集者として活動している。

「下北沢の2坪半の“お店”が出発点」KLASICA(クラシカ)立ち上げまでの歩み

下北沢に構える直営店。ブランド設立とともに歴史を刻んできた。(インスタグラムより @klasica_shop)

--- 社会人になってからブランドを立ち上げるまでの経緯について教えてください。

もともと僕は家具屋をやろうと思って、京都の家具屋で働いていました。その後別の場所でも働きたいなと思って、東京に出てきました。


いくつかのお店を回ったんですが、最終的にある会社で働くことになりました。実はその会社の母体がアパレル企業で、しばらく働くうちにアパレル関係の仕事も担当することになったんです。


メーカーに別注をかけたり、許可を得てお店でカスタムしたりするうちに、徐々に「自分でもお店をやってみたいな」と思うようになって、会社員をやりながらまずはお店を始めました。それが2004年ごろですね。

--- 時代を先取りした働き方ですね。

友達が「小さな物件があるよ」って教えてくれて、見に行ったのが今もFRAGSHIP SHOPとして借りている下北沢の2坪半の物件でした。急に始めたのでお金もなく、安いミリタリーのものを仕入れてカスタムしたりして売っていました。

--- そんな中で「自分でも服を作ってみたいな」と思って、ブランドを始めるわけですか?

僕の場合、自分で服を作り始めたのはもう少し切実な理由でした(笑)。ミリタリーを仕入れると、どうしてもサイズの大きなものが余ってくるんです。


今でこそオーバーサイズの服も売れますが、当時はスキニーパンツ全盛期で全然売れない。でもお店のスペースは限られていますから、なんとかして処理しなければならない。


結果として、既存の服に微調整を加えるカスタムだけでなく、本格的に作り替えるリメイクをやることになった。これがKLASICAのブランドとしてのスタート地点ですね。2005〜2006年頃の話です。

「服作りは今も試行錯誤」専門卒ではないからこその苦悩

ふとしたきっかけで服作りの道に。ノウハウは独学で学んでいった。(インスタグラムより @klasica_kohei_kwmr)

--- 河村さんはもともとファッションの勉強をされていたのですか?

いえ、もともと服は好きだったんですが、ファッションを専門に勉強したことはありません。


四年制大学の文系学部に入っていたんですが、家具屋になりたかったので、卒業後に家具のことを学ぶために大学院に入りました。公立の大学院で、心理学と環境造形をくっつけたような勉強ができる研究室です。

--- 建物の中で過ごす人間が、どんなものが空間内にあるとどんな心理になるかを研究する分野、というイメージでしょうか?

はい、そんなイメージで合っていると思います。

--- 文系から理系に転向されたんですね。

そのせいでもともと理系から来ている人たちの話が全くわからず、2年間の大学院生活で深く学ぶことはできませんでした(笑)。面白いことがたくさん学べた期間でもあったんですが。

--- 河村さんはその後会社勤めをして、ファッションやデザインの専門的な勉強はしないままデザイナーになられていますが、そこで困ったことはなかったのでしょうか?

カスタムやリメイクをするくらいなら、もともとある服を作り変えるだけなので何とでもなりました。生地の調達なんかも生地屋さんを紹介してもらったりして、割とスムーズに対応できました。


ただ徐々にオリジナルで何かを作ろうという段階になってからは、色々と壁にぶち当たりましたね。

試行錯誤を重ねながら少しづつブランドの形とスタイルを作り上げる。インスタグラムより @klasica_kohei_kwmr

--- どんな壁ですか?

例えばシャツを作るとなった時に、知り合いのパタンナーに相談に行くんですが、作ってもらったサンプルを見て「何か違う」って思っても、何がどう違うかを彼に伝えられないんです。


「ちょっと大きくしたい」「もう少し太くしたい」と思っていても、どこを大きくしたら思い通りになるのかがわからない。パタンナーに「何mm大きくしたい?」と言われても、5mmが最適なのか、はたまた3cm必要なのか、見当もつかないんです。

--- どうやって思い通りの服が作れるようになったのですか?

その知り合いのパタンナーに教えてもらうしかありませんでした。


「ここを○mm変えるとどうなるの?」

「こういう感じに変わると思うよ」

「じゃあこっちをこうしてみたら?」

「それは試してみないとわからないな」

「一度試してみてくれない?」


みたいな感じです。ただ今もこの辺りは試行錯誤の繰り返しで、まだまだ思い通りの服を一発で作れるというわけではないですね。

「洋服に興味を持ったきっかけは“コンバットジョー”」河村氏のファッション原体験とは?

世界各国の軍隊の制服を着せたフィギュアがどっぷりハマるきっかけに。インスタグラムより @klasica_kohei_kwmr

--- 「もともと服は好きだった」とのことですが、河村さんがファッションに興味を持ったきっかけは何だったのですか?

ファッションというか洋服に初めて興味を持ったのは、僕が小学校5〜6年生の頃に販売されていたタカラの「コンバットジョー」というフィギュアシリーズがきっかけでした。


もともとはアメリカのハスブロという会社が販売していた「G.I.ジョー」というフィギュアシリーズがあったのですが、タカラがそのレプリカを出していたんです。

--- どんなフィギュアだったのでしょうか?

ドイツ軍やアメリカ軍といった世界各国の軍隊の、色々な時代の制服を着せたフィギュアです。当時はその制服のディテールが面白くて、眺めているだけで楽しかったですね。

--- 造りはリアルだったのですか?

おそらく。マニア筋にもウケるように精密に作られていたように思います。

--- では初めて自分のお金で「どうしても欲しい」と思って買ったのは、どんな洋服でしたか?

日本のカジュアルウェアのメーカーが作ったハーフコートです。当時は軍ものだとかヴィンテージだとかはあまり意識していませんでしたが、20年代の4つポケのPコートをシングルにしたようなデザインでした。


ちょっと予算オーバーではあったんですがどうしても欲しくて、お小遣いの前借りまでして買ったのを覚えています。

河村氏が所有するヴィンテージアイテムのコレクション。これらからインスピレーションを得ることもあるそう。(インスタグラムより @klasica_kohei_kwmr

--- KLASICAのアイテムにはミリタリーを含むヴィンテージウェアの要素が盛り込まれることが多いようですが、昔からお好きだったのですね。

そうですね。軍もの屋さんに行くのも、小学生の頃から好きでした。


祖父が京都の人なのですが、京都に行くと必ず京極にある軍もの屋さんに行って、モデルガンやガジェットを見たりして入り浸っていたものです。

--- そのお店は今もあるのでしょうか?

ありますよ。京都にそのお店ありという軍もの屋さんなので、行きつけにしている人も多いようです。


先日たまたま知り合ったアーティストの方も、京都にいた頃はそのお店にしょっちゅう通っていたと言っていました。


子供の頃はなかなか買えませんでしたが、学生の時分になると軍ものの古着も増えていたので、よく買いに行っていましたね。

「ファッションとは適切な距離感を保ちたい」KLASICAデザイナーの休日の過ごし方

休日は自分の好きなことをして過ごすことが多いそうで、ワインもその一つ。インスタグラムより @klasica_kohei_kwmr

--- お休みの日は何をして過ごされていますか?

好きなワインを買いに行って飲んで終わり、みたいな日が多いですね。

--- 買ってすぐに飲むんですね(笑)。

もうその日の夜には飲んじゃいます(笑)。あとはオートバイと自転車が好きなので、エンジンを動かしがてら、少し遠くの大きなヴィンテージ家具屋さんに行ったり、週末は骨董市に行ったり、という感じです。


あと最近はテンカラ釣りとフライフィッシング、ロングボードサーフィンを趣味にしたいなと思っています。

--- 川釣りは以前Instagramにも写真をあげてらっしゃいましたね。

はい。サーフィンの方はコロナ禍になる前に2〜3回、経験者の方に教えてもらいに行ったんですが、今の状況になってからは教えてもらうにも先方に迷惑をかけるかと思って全く行けていません。


落ち着いたらまた行きたいとは思っていますが、もう全然覚えていないのでまたゼロからのスタートです(笑)。

フィッシング、オートバイ、自転車と多趣味な河村氏。 休日はあえてファッションから距離を取る。インスタグラムより @klasica_kohei_kwmr

--- 休日にセレクトショップなどを回ってリサーチするようなことはしないのですか?

あまりしないようにしています。KLASICAが拠点にしている東京の街は、今の日本の基準となるファッションで溢れかえっています。そうしたファッションの気配みたいなものに、あまり近づきたくないという気持ちがあるんです。

--- それはどうしてですか?

私はあくまでデザイナーであり、生産側の人間です。しかし街に出て、お店で現在進行形でリリースされているものを見て「この服、いいな」と思ってしまったら、その時点でのカスタマー目線に立ってしまいます。


そうするとどうしても影響を受けます。KLASICAの服が僕の服ではなく、誰かの作った服を見て感じて作ったものになってしまう。


それをできるだけ避けるためファッションの大きな流れとは適切な距離感を保ちたいんです。

--- KLASICAらしさを守るためなんですね。

これはお店を始めた時から大切にしていることなんですが、僕が作るものにはKLASICAらしさが出るようにと思って作っています。


それが具体的にどういうものなのかはわからないんですが、できるだけ「どこかの何かっぽい」と思われない物作りを心がけているんです。リメイクを始めた時も「とにかく他の洋服屋さんが思いつかないことをしよう」という気持ちを持っていましたが、今も根本のところは変わっていません。

--- そうしたKLASICAらしさは、実際にKLASICAの服を着てみると確かに貫かれているように感じます。

次回は河村さんの服作りへのスタンスについて、より深く掘り下げて行きたいと思います。

河村さん、引き続きよろしくお願いいたします。


次回
「KLASICAらしさ」の秘密は
どこにある?
ブランドの軌跡から見えてくる、服作りのスタンス